2009年06月21日

「国宝 熊野御幸記」

「FACTA]という総合情報誌編集長の阿部重夫氏が「国宝 熊野御幸記」の書評がこちらで読めます。

国宝熊野御幸記』(三井記念美術館・明月記研究会共編、八木書店 8500円+税)、この本はこの4月に出版されたようですが、もしこの本がもっと前に出版されていて私が購入していたら、こちらのブログでの現代語訳もちょっと違ったものになっていたかも。

ほとんど漢和辞典だけで訳したものなあ。
きっと間違って訳している箇所も多々あるにちがいないです。

最初、全然わからなかったですから。

posted by 藤原定家&てつ at 22:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他

2009年04月10日

建仁元年の後鳥羽院熊野御幸の日程

10月05日
 鳥羽 石清水 窪津王子 坂口王子 コウト王子 天王寺(泊)

10月06日
 阿倍野王子 住吉社(和歌会) 堺王子 大鳥居新王子 篠田王子平松王子(泊)

10月07日
 井口王子 池田王子 浅宇河王子 鞍持王子 コ木のニ王堂 胡木新王子 サ野王子 籾井王子 厩戸王子(和歌会、泊)

10月08日
 信達一之瀬王子 地蔵堂王子 ウハ目王子 中山王子 山口王子
川辺王子 中村王子 ハンサキ王子 日前宮 満願寺 ナクチ王子 松坂王子 松代王子 菩薩房王子 祓戸王子 藤白宿(泊)

10月09日
 塔下王子 橘下王子 トコロ坂王子 一壷王子 カフ下王子 山口王子 いとか王子 サカサマ王子 湯浅宿(和歌会、泊)

10月10日
 井関王子 ツノセ王子 シヽノセ山 沓カケ王子 シヽノセ椎原 内ノハタ王子 田藤次 愛徳山王子 クハマ王子 小松原御宿 イハウチ王子 重輔庄(泊)

10月11日
 塩屋王子 ウヘ野王子 ツイの王子 イカルカ王子 切部王子(和歌会、泊)

10月12日
 切部中山王子 磐代王子 千里浜 千里王子 三鍋王子 ハヤ王子 出立王子(泊)

10月13日
 秋津王子 丸王子 ミス山王子 ヤカミ王子 稲葉根王子 石田川 一ノ瀬王子 アイカ王子 瀧尻王子(和歌会) 山中の宿(泊)

10月14日
 重点王子 大坂本王子 近露宿(和歌会) 近露王子 ヒソ原王子 継桜王子 中の河王子 イハ神王子 湯河宿(泊)

10月15日
 湯河王子 猪鼻王子 発心門王子(泊)

10月16日
 内水飲王子 祓殿王子 本宮(和歌会、泊)

10月17日
 本宮(泊)

10月18日
 本宮 熊野川 新宮(和歌会、泊)

10月19日
 新宮 那智(和歌会、泊)

10月20日
 那智 雲取越え 本宮(泊)

10月21日
 本宮 湯河 近露(泊)

10月22日
 滝尻 マナゴ 田辺 イハ(※岩代※)(泊)

10月23日
 小松原 シヽノセ山 湯浅(泊)

10月24日
 カフラサカ 藤代山 藤白宿 オレ山 信達宿(泊)

10月25日
 大鳥居 住吉 天王寺 ナカラ宿 皆瀬宿 山崎前々宿(泊)

10月26日
 鳥羽 稲荷 日吉 京
posted by 藤原定家&てつ at 08:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに

2009年04月06日

建仁元年の熊野御幸で催された和歌会

建仁元年(1201年)の後鳥羽院熊野御幸で催された和歌会は、9回11座。

10月06日 住吉社
10月07日 厩戸王子

10月09日 湯浅宿

10月11日 切部王子

10月13日 滝尻王子
10月14日 近露宿

10月16日 本宮2座(1座は発心門分)

10月18日 新宮
10月19日 那智2座(1座は阿須賀分)

このときの懐紙は藤代での後鳥羽院らの3葉と、那智での後鳥羽院の懐紙で分割されたもの。


後鳥羽院一行は10月26日に帰京。
それから数日後の11月3日に『新古今和歌集』の撰者が選ばれました。

源通親(みちちか。内大臣)・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経・寂連(翌年没)の6人。
この6人の撰者のうち、藤原定家・藤原家隆・藤原雅経・寂連の4人は後鳥羽院の熊野御幸に随行した歌人。

藤原家隆・藤原雅経・寂連は、前年の正治2年(1200年)の熊野御幸に随行しています。
posted by 藤原定家&てつ at 16:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに

2009年04月05日

五躰王子

五躰王子とは、熊野十二所権現中の熊野五所王子(若一王子・禅師の宮・聖の宮・児の宮・子守の宮)すべてを祀る王子社

「後鳥羽院熊野御幸記」では藤代王子のみが五躰王子。
稲葉根王子が五躰王子に准じるとある。
posted by 藤原定家&てつ at 22:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに

本宮→新宮→那智→本宮

上皇による熊野御幸は通常、本宮新宮那智新宮本宮の順に行なわれましたが、藤原定家が記録を残した、後鳥羽上皇は4回目の熊野御幸は、本宮→新宮→那智→本宮の順に行なわれました。

中世において、京からの熊野詣の順路は、京都を出発し、船に乗って淀川を下り、現在の大阪市天満橋の辺りで上陸。海岸筋の熊野街道を熊野の玄関口、口熊野といわれた田辺まで南下。
田辺からは中辺路(なかへち)の山中の道を本宮へ向かう。
本宮からは熊野川を船で下り、熊野川河口にある新宮に詣る。
新宮からは再び徒歩で海岸線沿いを辿り、それから那智川に沿って那智に登っていく。
那智からは再び新宮を経、熊野川を遡行して本宮に戻り、再び中辺路を通って都に帰っていく。

これが京からの熊野詣の通常の順路でした(本宮→新宮→那智→新宮→本宮)。

ところが、後鳥羽上皇の4回目の熊野御幸は、本宮→新宮→那智と来て、那智からは那智の背後にそびえる妙法山に登り、「大雲取越え・小雲取越え」の険路を越えて本宮に戻りました(本宮→新宮→那智→本宮)。

本宮→新宮→那智→本宮の順路で熊野御幸した記録が残っているのが唯一、後鳥羽上皇の4回目の熊野御幸。文献上はこの1回しかありません。

なぜ後鳥羽上皇だけこのような順路で熊野御幸を行なったのか謎ですが、高田崇史さんの小説『QED 〜ventus〜 熊野の残照』に、面白い説が語られていました。続きを読む
posted by 藤原定家&てつ at 08:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに

2009年04月03日

藤原定家の「後鳥羽院熊野御幸記」について

2つの勅撰和歌集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の選者で、『小倉百人一首』の撰者だといわれる藤原定家(1162年〜1241年)。平安時代末期から鎌倉時代初期に駆けての人物です。
藤原定家は、建仁元年(1201年)の後鳥羽上皇(1180年〜1239年)の4回目の熊野御幸に随行し、その参詣記を残しました。
その参詣記を「熊野御幸記」「後鳥羽院熊野御幸記」などと呼びます。
定家自筆本が現存し、三井文庫に所蔵されていて、国宝に指定されています。
その内題には「熊野道之間愚記 略之 建仁元年十月」とありますので、「熊野道之間愚記(くまのみちのあいだぐき)」とも呼ばれます。

定家は18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記(めいげつき)』を残しています。これも国宝です。
「熊野道之間愚記」は、「これを略す」とあるので、後鳥羽上皇の熊野御幸に随行したときの日記を略して書き出したものということです。もとの日記は残っていないようです。

定家はこの年、40歳。後鳥羽院は32歳。

10月5日に出発して26日に帰ってきました。22日間の旅でした。
posted by 藤原定家&てつ at 09:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに

2016年09月28日

道中の雑物を先達の許に送る

 二十七日    

道中の雑物を先達の許に送る事
早朝、道中の雑物(※こまごまとしたもの。日常用いる雑多なもの※)をことごとく水で洗い、また雑物などを取り集めて先達の許に送る。
これは恒例のことであるとのこと。
文義がこれを指図する。
posted by 藤原定家&てつ at 03:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年09月28日

帰京

 二十六日  天気晴れ

夜明けころに、御幸が入御とのこと。
ただし只今すぐに出御とのこと。左中弁(※藤原長房※)がこれを示し送る。よって急ぎ出る。
明け方のころ、鳥羽の御精進屋に入御。すぐまた出御(稲荷に御参拝の事)。御拝、御経供養はいつもの通り(この間に私的な奉幣。法筵(※ほうえん。仏法を説く所、説法の席※)を渡るとのこと)。布施を取る(保家中将と予は導師の布施を取った)。

終わってすぐに入御。二条殿の儀はなおこの人数で参りなさいとのこと。しかしながら(※予は※)小々の人々に知らせてこれより退出する。
九条に入って小食して、すぐに馳せ出て日吉に参る(すぐに日吉に社参の事)。私の宿願によってのことである。
馬場の辺りにおいて春宮権大夫(※藤原宗頼※)に遭う。
未の時(今の午後2時頃。また、午後1時から3時の間。一説に午後2時から4時の間)ころに参着する。奉幣して、すぐに馳せ帰る。

清閑寺の辺りで松明を取り、京に帰り、洗髪沐浴してから寝付く。
今夜は魚を食す。
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2016年09月28日

住吉・天王寺を過ぎ

 二十五日 天気晴れ

明け方に御所に参り、出御以前に出発。
大鳥居の小家で食事。食事が済んだ後に出て住吉・天王寺を過ぎナカラ(※長柄※)宿所に入る。
よって之に渡る(京家より到来相具する船である)。
ただしこの宿は細川庄成時の指示である、人は来ないとのこと。
よってすぐに打ち出て(水無瀬に入る)、終わって馳せ走って皆瀬宿に入る。
山崎前々宿所である。今日は十五六里を過ぎた。
御幸はナカラ(※長柄※)より御船にお上りになるとのこと。一寝する。
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2016年09月28日

信達宿

 二十四日 天気曇 雨降る間休む

明け方に出発し、〔カフラサカ〕、藤代山を越える。
雨が甚しく道のほとりでうろたえて取り乱す。
藤白宿所に入り小食。
それが済んでまた出発。雨を凌いでヲレ山を越え、申の時のころに信達宿に入る〔御所近辺の仮屋である〕。
国の役人が菓子のような少々の物を送る。
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